追悼テレビ

2010年8月4日
家族で車に乗っている。親戚で集まって食事をした帰りだ。家族といるのが息苦しくなって、適当な理由をつけて車を降りる。曖昧な笑顔と口実。ビル街を少し歩く。人気はない。少し冴えた空気に、白っぽいビル、白い月が照らしている。残業を終えた三人のサラリーマンが車庫のシャッターを下ろしている。自信のない道を迂回しながら歩き続ける。やがて海岸に出る。テレビがあって、あの子の追悼番組が流れている。隣にあの子がいる。手をとって泣き続けた。温かくも冷たくもない、手。まるで悪くはなかったというように番組は続く。そんなのは嘘だ。端役で出演したいくつかの映画、バラエティ番組、思うほど売れなかった音楽活動。嘘ばかりだ。そんなことひとつも起きなかった。海辺でテレビが弔うのは、あり得た、けれど奪われた可能性。そういう日々を、待ちながら、叶ったり叶わなかったりしながら、過ごすはずだったのに。もう何もない。こうして手を取っても、その手を額に押しあてても、何にもならない。弔うことさえ意味がない、泣くことも、夢を見ることも。夢よ覚めるな。夢よ覚めるな。夢よ覚めるな。必死で願ったけれど、やっぱり夢は終わった。

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